ルイ・ヴィトンジャパンで秦が振るう経営手腕は、シンプルかつオーソドックスである。日本語では「真っ当」という言葉がもっともふさわしいように思う。本来の小売業の原則からいえば、反常識でも何でもない。常識そのものだ。順を追って説明したい。まず、製造から販売までの流通段階にルイ・ヴィトン以外は一切介在しないという仕組みが何といってもシンプルだ。すべてはヴィトンのコントロール下にあるので、ブランドを管理しやすい。SPA(自社ブランドの製造小売業)という言葉は、ユニクロで一躍有名になったが、二五年も前にルイ・ヴィトンジャパンが構築に動いていたのである。日本法人を設立するにあたって、ヴィトンは南仏に新工場を作り、日本側の需要に応える準備を整えている。これによって、客はいるのに商品がない、という売り逃しのケースが少なくなった。日本法人設立前にヴィトン製品を手がけていた三井物産の高橋正治はこう述懐している。最初はヴィトンの生産体制が悪く、注文しても十分のIくらいしか品物が来ない状態でした。(大内順子・田島百利子源流社『20世紀日本のファッション』一九九六年)ヴィトンであれば日本人は買っていく。だったら、何としてでも売り逃しだけは避けようと、ヴィトンはまず生産体制から手をつけ、新工場を構えたのである。次に価格政策だ。高級ブランド品であれば高くて当然、いや高いからこそ価値があるとされていた時代に、秦は中間業者を排し、値下げを断行した。パリ本店の値段にプラスするのは運賃と関税だけというシンプルさだ。何度も値下げを行って、三倍以上あったパリと東京の内外価格差は、一九八一年には1.4倍にダウンした。ルイ・ヴィトンジャパンは今もこの数字を維持している。これが、秦が考える適正な価格というわけだ。この値下げ政策に対しては、業界では危険視する声が多かったようだ。ブランド品の値下げは、「売れていないからだ」という憶測を生む。イメージダウンは高級ブランドにとって致命傷につながるため、業界関係者だけでなく、社内からも反対の声はあがっていたという。しかし、値下げは業界の大方の予想に反した結果となった。価格が手頃になったことから、売れ行きは前年比の二倍の勢いで伸び、ヴィトンブームという社会現象を生み出した。海外旅行でパリに出向き、ヴィトン製品の本国での値段を知る日本人がどんどん増えていた時代背景を考えると、値下げは正解だったというべきだろう。内外価格差があり過ぎては、「暴利をむさぼるブランド」と見られてしまう。値下げは、イメージダウンどころか、「良心的なブランド」という好印象を消費者に与えたのだ。日本法人の設立当時、著名な服飾評論家のうらべまことは、次のように書いていた。このたび、本家本元が日本へ上陸し、中間業者を締め出し、パリ値段のせいぜい二倍程度で売り出すというニュースだから、マスn”/も大きく取り上げた。しかし、異常な価格差という、過熱人気の原因が取り除かれたら、ルイ・ヴィトンもただのビエール袋。みんなが持ってブラ下げれば、個性的でも、エリートでもなくなる。おそろいで銭湯にでも行くかね。(日本経済新聞社『ファッション裏論』一九八〇年)おそらく、ほとんどの業界関係者はこんな見方をしていたのだろう。だが、結果としてルイ・ヴィトンジャパンの決断は吉と出た。人気は一過性のものではなく、その後二〇年以上も継続し、うらべがいうようにみんなが持ってブラ下げる時代が到来するのである。