一九六〇年代のスーパーの経営者たちは、「職人問題」を解決していく過程で、主婦パートの力量が低いというのは誤解だと痛感し始めた。主婦パートが任された仕事を思いのほかそつなくこなすことに気がついたのだ。だが、「パート活用」の初期段階では、活用の成否は主婦パート個人個人の能力に左右されていた。仕事熱心な人、それほど熱心ではないが仕事ができる人など、要するにたまたま雇った仕事のできる人により、よい結果が生み出されていたにすぎなかった。
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そこで企業は、場当たり的な、運任せのような主婦パート活用ではなく、もっとシステマイックに活用人数や範囲を増やし、底上げを図り、優秀な人にはさらに高度な業務を担わせ始めた。いわば一九六〇年代から七〇年代の「パート活用」という第一段階から、一九八〇年代にいたって「パート戦力化」という第二段階に入ったのだ。この「パート戦力化」時代のスーパーの成長は目覚ましかった。中小小売商店は、スーパーの躍進の陰で次々に廃業に追い込まれ、地方では、伝統ある百貨店すらも次々に衰退し始めた。なお、一九五〇年代、早々に主婦パートを誕生させた百貨店はどうかといえば、意外なことに最近まで「パート戦」には加わっていかなかった。百貨店は、問屋やメーカーからの派遣店員(応援社員、手伝い社員などともいわれる社外店員)を頼りにすることができたため、「パート戦力化」を強く迫られなかったからである。