一九一八年に彼女に会った劇作家のジョージ・バーナード・ショーは、彼女は「カーテンみたいな服を着ており」、その「顔は砂糖でできていて、誰かに舐められたみたいだった……というより、つぶれたお菓子のようだった」とのちに回想している。微風の吹く九月一四日の夜にファルケットとのドライブに出かけたイサドラは、いつものようにシックな装いで、二メートル近くある赤いシルクのスカーフを首に二重巻きにして左の肩から垂らしていた。友人のメアリー・デスティがしきりに勧める。「イサドラ、お願いだからこの黒いケープを着けていって。かなり寒いわよ」。「いいえ結構よ、メアリー。この赤のショールじゃなきゃ嫌なの」とイサドラ。ファルケットのほうも、こんな風のある夜に、しかもコンバーチブルの車に乗る同乗者はショールだけでは寒いだろうと思い、レザー・ジャケットを貸そうとした。だが、イザドラは長いスカーフを巻き付けた首を横に振って、彼の申し出を断ると、友人たちに手を振り返して叫んだ。「さよなら、みんな!栄光に向かって発進よ!」ファルケットがアクセルを踏み、車が動き出す。と、イザドラのスカーフが後ろに流れ、五〇センチほどのフリンジが後輪のスポークに引っかかって糸を巻くように巻き取られた。この力で彼女の首の骨が折れ、頸静脈が切断された。即死だった。数十年後の今なお、イサドラ・ダンカンの死はミステリー・マニアの好奇心をくすぐっている。何しろウェブサイトを立ち上げてまで、事件の詳細について、それも車の仕様に至るまで討論する過熱ぶりだ。(ポール・ポワレ「ファッションの王様」と呼ばれた伝説的デザイナー。女性を締め付けるコルセットを取り払ったハイ・ウェストのドレス「ローラ・モンテス」をはじめとして、当時のファッションの常識を揺るがすデザインを発表。クチュールとして初めて香水を手がけた、現在のブランディングの元祖とも言える存在)筋金入りのファッション・ヴィクティムだった偉大なるダンサーの死は、確かに奇怪な事故によるものではあったが、それはまた、服への執着心について興味深い点を浮き彫りにしてくれた。もし、イサドラがスタイルを優先しなかったら、生きながらえていたのではないだろうか?